steps to phantasien

ホッピングの話のつづき

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つづき。

Should の話は 前回 済ませた。 今日は was のはなし。私の時はこんな風だった、こんな会社があったという話をしてみたい。 読みやすさや角をたてないためなどの都合で一般化した書き方をするけれど、 ごく限られたインスタンスが相手である点はご了承ください。

グリッドと地層

最初のホッピングが終わって気づいたのは、新卒という立場の特別さだった。 新卒は給料が安く世間知らずとホッピング界ではバカにされがち。 けれど実際は良いこともある。

いまの私から見て一番うらやましい新卒特典は、 バッチ採用された同期入社の同僚たち。たくさん、しかも部門をまたいであちこちにいる。 中途採用で勤め始めると、知り合いは周りの人たちだけだ。 社交的で知り合いを増やすのが得意な人にしてみれば、 これは小さなことかもしれない。 でも人見知りな身からするとシステムとして顔見知りができる バッチ採用は大きな助けになる。

同期入社という横のつながりの他に、 先輩後輩という縦のつながりもある。 うっとおしいことも多いので同期仲間ほど手放しで讃えたくないけれど、 情報流通の経路として強力なのは事実だ。

新卒採用のプロパー社員が多い会社では、 この縦横に張り巡らされたグリッドが情報流通の大きな部分を占める。 そういう場所によそ者としてホップしたときにはいくらか疎外感があった。 仲間はずれにされはしない。 ただ時々、見えない網がやんわり押し戻してくる感触があった。

新卒プロパーほど会社に対する愛情や思い入れが強く、 その忠誠心がこのグリッドを一層強固なものにする。 だから忠誠心の低いホッパーがグリッドに入り込めなくても無理はない。 結果として仕事内容もプロパーグリッドの穴埋めみたいになりがちで、 あっちのメインストリームな仕事がしたかったんだがなーと 思いつつ雑用をこなすこともあった。

新卒のいない、あるいは割合の少ない会社にはグリッドがない。 勤務年数による地層があるくらい。 地層を掘り起こす考古学が求められると新参物のホッパーには荷が重いけれど、 大抵のあたらしい仕事は地表で起こるからさほど困らない。 グリッド社会とくらべて地層社会はホッパーにやさしい。

グリッドの流れに乗って働くのはどんな風なんだろう。 あんがい攻殻機動隊みたいでクールなのかもな。 そんな想像をすることもある。今となっては知る由もない。

紐帯

会社をやめるのはそれなりに寂しい。 特にバッチ採用で最初に入った会社から出るときはグリッドから切り離される心細さがある。 (あった気がする。おぼえてないけど・・・)

一方で、新しいホップ先には新しい同僚ができる。これはホッピングの楽しみの一つ。 出不精かつ人見知りでも一緒に働けばそれなりに打ちとけあえる。

かつての同僚たちは「元同僚」という新しい種類の知人になる。 利害関係なしに仕事の話ができる貴重な仲間がうまれる。 元同僚とは文脈や語彙を共有しているから、ただの友達とはできない話もできる。 この感じを説明するのは難しい。企業秘密を漏らすのとは違う。 「あの時のプロジェクトみたいな感じで、でも佐藤さんみたいな人がいて・・・」 「そりゃ難儀だね、山田さん的な人に助けてもらえないの?」 「残念ながら僕が山田ポジションなんよ」 「山田なんだ・・・」特別な代名詞で曖昧な悩みを交換しあう。

弱い紐帯 というよく知られたアイデアがある。 同僚グリッドが強い紐帯だとしたら、元同僚はもう少し緩いつながりだ。かといって “弱い紐帯” ほど心細くもない。不思議な関係。 同じ仕事をしていたくらいだから興味も近く、週末にプログラマ集会へ出向くと鉢合わせることもよくある。 そんな時は互いの足元からのびる weak tie が見える。 (なお弱い紐帯の出典は リーディングス ネットワーク論 で読める。)

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アプリオリ

大企業と中小企業、あるいは零細企業。 どんな規模の職場に移るかはホッパーにとって関心事の一つだろう。キャリアアッパー的基準はさておき、 飽きっぽいホッパー諸兄はそれまでと違う規模の職場に移るのが新鮮で良いと思う。 私の最初のホップはあまり規模の段差がなかったため退屈した記憶がある。 そのあと 30 人や 30000 人へホップしたときは、どちらも飛躍があってスペクタクルだった。

小さい会社にいた時は色々気楽で、もう大きい会社は無理だと思っていた。 いざ大きい会社に来てみると違う気楽さがあった。 たとえば資金繰りなんてのはたまに IR 資料を冷やかすくらいで気が済む。 感じるストレスの種類も違う。

組織は規模に応じた良さがある。 ただその内訳には、特定の規模から勝手に導かれる所与の特徴と、 誰かが頑張って刻みこむ後天性の美点があるとおもう。

たとえば小さい会社のアットホームさは、まあまあ所与の特徴に思える。 フロアを見渡せば社員みなの姿が見えるし、 隣の会議室では営業の人が商談をしている。たまには自分がお茶出しを手伝ったりもする。 後ろ向かいの机では総務(ふくむ色々)の人が書類仕事をしている。電話が鳴る。 殺伐とした、あるいは官僚的な零細企業も想像はできるけれど、 官僚システムや殺伐感の維持はむしろがんばりを要するだろう。

一方ですばやい意志決定や方向転換なんてのはどうだろう。 ちいさな会社が大きなシステムの下請けや 大きな会社からの受託開発で生計を立てていたら、 仕事の意志決定はたぶんそんなに速くない。 律速される相手がいるし、契約みたいな面倒も増える。 意志決定の速さは特徴より美点に近いのがわかる。

大きな会社にも同じパターンはあるとおもう。

専門家による分業は、たぶん大企業の所与の特徴に近い。 企業が大きくなるほどプロジェクトの平均サイズも大きくなり、分業が進む。 だから専門を掘り下げたくて大企業を選ぶのは自然な選択だろう。 雑多なコードを書く意味での雑用はあるにしろ、 管理職から渉外までにまたがる手広い雑用こなすプログラマが大企業にいたら、 その人は自然な流れに逆らって何かをがんばっている。 そんな outlier に支えてられているプロジェクトも多いだろうけど、 うっかりなってしまう仕事じゃない。

ワークライフバランス、これはどうだろう。 大企業勤めのハードワーカーを私はよく見かける。あまり所与の特徴とは思えない。 私の労働時間も以前と比べて大きく減ってはいない気がする。 (ちょっと減ったかもしれない。寄る年波じゃよ…) これは労組や人事ががんばった結果の美点に見える。なんとなくだけれど。

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上の例はさておき、似たような規模の会社でも後天性の美点が生み出す個体差はきっと大きい。

そして何が所与で何が後天性なのか、区別ははっきりしない。 生まれか育ちかの論争に似ている。 あって当然だと思っていたものがある日姿を消すかもしれない。 組織の規模がかわった時も際どい。手に入る美点もかわるから、 成長にあわせて置き換えを進めないと合わない美点が腐ってしまう。 経営者ってやつは大変なんだろな、なんてのはホッパーなりの同情。

キャリアのまぼろし

bluebird

将来を見据えて着実にコマをすすめるのがキャリアアッパーだとしたら、 成り行きと気分にまかせるのがホッパーだ。

そんなホッパーも実際のホップ前はそれなりに色々考える。 けれど浅はかなのかついてないのか、その思惑は当たらない。 ホップ先での仕事を読み違えることもある。自分自身のことだってわかっているとは限らない。

最初のホップをしたとき、私はたしかにそれらしい理由を考えていた。 ただそれが何だったのか正確なところを思い出せない・・・白状すると思い出せたけど説得力がない。 今思うと、たぶんその頃の自分は働き過ぎていた。 ホッピングを促したのは行き詰まった焦りだったけれども、 ストレス由来の短気が苛立ちを割り増していた。

暮らしていれば、働いていれば、イラっとしたりガックリしたりすることはある。 そんな精神的負債を返すための余裕を、オーバーワークは奪う。負債の利息がかさみだす。 「仕事が忙しすぎるんでヒマなところに行きます」と切り出せるほどリベラルな若者でなかった私にとって、 城繁幸や転職産業が振りまく キャリアアップのまぼろしは窮状から抜け出す口実だった。 ストレスレベルの高さを意識の高さに読み替えていた。

若気が至ってのホップだったため、次の職場での仕事は楽しめなかった。といってもそれは私にとっての話。 同僚たちは会社を愛しており、仕事にも概ね意義を感じているようだった。 職場の良し悪しは客観的な指標とは限らず、価値観の違いや好き嫌いがあるのだと身に染みた。 私はその職場での仕事にまったく価値を見いだせなかったけれど、どう見てもこちらの分が悪かった。 (もっとも会社は数年後に人員削減をしていた。商売はそれほど順調でもなかったようす。)

からぶり修行

精神衛生をとりもどしたあと改めてホッパーとなった我が身を鑑みると、 自分が何もできないことに気がついて焦った。 俺、クリーンなコード書けるもんね・・・なんて密かな自慢はあったものの、 クリーンコードはホッピングの足しにならない。 (ホップ後ならそこそこ意味もあると思うけれど。) 少しは難しいことができないと、若いうちはともかく将来ホップできずに詰んでしまう。

うーむ困ったと思い、次はコードをたくさん、 特にハードなコード …例えば速いコード… を書く必要があるところで修行しようと、 ネットワークのミドルウェアを作る小さい会社にホップした。

ところが入ってみると速い遅い以前にだいぶ色々やることがあった。 あては外れたが仕方ない。開発プロセスに口をはさんでアジャイル風にしてみたり、テストやツールを書いてみたりと、 誰がやっても大差ないが誰かがやらないと始まらないベースラインの雑用をたくさんやった記憶がある。 仕事のドメインに慣れておらず普通のコード書きにも時間がかかった。 コードはたくさん書いたけれど、大半は速い遅い以前の単なるコードだった気がする。

ただ自分のやりたいように開発プロセスをつくり、 コードも上から下まで好きなように書けるのは張り合いもあった。 めんどくさい上司はおらず、チームもみな協力的で(年功序列的に私がおっさんだったせいかもしれないが) 傍若無人にいろいろやれたのは良かった。 小さい会社で勝手にやる楽しさは思いもしない発見だった。

色々な都合・・・というか実力不足で、色々やった体感の割に大きな成果はなかった。 もっともそんな実力があったなら修行なんて言わずキャリアアッパーになっていたわけで、 もともと振れない袖だった。

この頃にはチームワークや製品開発自体に関心が移っており、 ハードなコードは比較的どうでもよくなっていた。

Funkiness over Robustness

西海岸ハイテク企業なら、良いソフトウェアの作り方を知るすごいチームがあるに違いない。 いまいる検索の会社に対しても、そんな期待が大きかった。 堅牢なコードベースや優れたプロセスを期待していた。

現実を見ると、たしかにブラウザをつくっているのはすごいチームでコードも堅牢そうだが、 私がさわっているのは会社の外にあるオープンソースプロジェクト。微妙にモノが違う。 コードは酷くはないものの、すごく素晴らしくもない。 なにしろ 10 年物だ。たぶんいちから自分で書いたほうが全然モダンになる。 (一からブラウザを作れるという話じゃなくて、コード一般の話です。) 開発プロセスもいくぶん混沌としている。

一方で最近の私はこのファンキーなプロジェクトをどう乗りこなすかに関心が移っており、 コードやプロセスの堅牢さは視界の隅に追いやられている。 それよりはメーリングリストで勃発した喧嘩のゆくえをハラハラ見守ったり、 若干 controversial なパッチをいかにねじ込もうかと策略を巡らせたり、 同業他社の人々との関係に気を揉んだりするのに忙しい。 IRC であのドイツ人と仲良くなってなんとかレビューを押し付けよう。 Moin! とか挨拶してたはずがなぜか奴のパッチをレビューしてるんだぜ・・・

会社のコードのことはよく知らないけれど、 キチンとすべき水準の高さが面倒そうに思え最近はいまいち食指が動かない。 コードはちょっとダメなくらいの方が改善の余地があるぶん愛せる、なんて思いはじめている。 ファンキー脳になっている。

ホッパーの思惑は、たとえばこんな風に外れていく。

来る同胞へ

ジョブホッパーとキャリアアッパーは違う種族だ。 ホッパーにアッパーほどの先見性や長期的視座はない。根気もない。 とはいえまったくランダムにホップしているわけでもなく、多少の思惑を持っている。 その思惑は外れる。けれど時が経つにつれ前提にあった価値観や興味も移ろい、 結果なんとなく辻褄があって見える瞬間が来る。

時代の先端をゆくキャリアアッパーの背中がまぶしい。 新卒一筋で働くプロパー人から滲む頼もしさに気後れる。 有閑無職のフリーダムに嫉妬する。 ホッパーに彼らのようなきらめきはない。 だからって必ずしも袋小路なわけでもない。楽しいこともある。と思いたい。 いや、実は破滅の道かもしんないけどさ・・・。

ところでこの文章はもうすぐホッピングする友だちに向けて書いた。 でも私の分類だと奴はアッパーな気がしてきたなーあんにゃろう・・・ ホッパーはいつでも君を待ってるからね。

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