2005-02-15

近況

ソフトウエア開発プロフェッショナル を読んだ. よく書けていた. 私は日記にはあまり仕事のことを書かないようにしていたけれど, 情報発信や意見交換はそれなりに有意義に思えてきた. ある種のレビューだと考えればいいんだな. しばらくは, 守秘義務に反さない範囲で日々の事柄を書くようにしたい.

実際にソフトウェアの開発をしている人には, 自分の考えや洞察をぜひ書くように勧める. ソフトウェア開発を通じて学んだ貴重な教訓を自分だけのものにせず,みんなで共有してほしい. コーディングのちょっとしたコツ, 品質管理の実際のやり方, プロジェクトの効率的な運用法, その他これまでに取り上げられたことのないソフトウェア関連のトピックをどんどん書いてほしい.

政治的に正しい名前

隣のチームで協力会社の人が働いている. 同僚達は, そうした社外のリソースをどう使うのかよく議論する. その議論を聞いて私はいつも胃を痛める. 彼らは, 協力会社社員のことを(同じ場所で働いている/いないに関わらず) "外注" と呼び, それを "使う", "使わない" という. たとえば "使える外注がくるといいんだけど." というようなことをいう. 当人のいるすぐその側で.

彼らが気分を害するかもしれないから, そいういう話はせめて会議室でやってほしいと同僚に話した. 彼は, 自分はチームにいる協力会社社員については, もう協力会社とは思っていない, チームの一員だという. あなたの考えと彼らの印象は別のものだ. そうわかって欲しいのだが, 上手く伝えられない, また, 私は別にそう言われても平気だという. そう言われると説得は困難を増す. 共感に訴えることなく感情の問題を伝えるのは難しい. また, 政治的正しさに対する一般的な批判を逃れることもできない. 協力会社の人達からは, 言葉面より待遇の改善を求められるかもしれない. それにも応じられない(したっぱだから.)

それでも私は, こういう言葉が必要だと思う. 私達は(すくなくとも私は)そうコミュニケーションに熟達しているわけではないし, "外注" と呼ぶことのメリットは何もわからないから.

同僚達は優秀なエンジニアで, 様々な問題についてよく考えている. 彼らの大胆なアイデアや意思決定に感銘をうけることは多い. だから一見無神経に見える言葉遣いも, リスクは十分に小さいと判断しているのかもしれない. 横着で臆病な私は, こうした問題に対する分析や直感を持っていない. だから常識や政治的正しさの名の下, オーバーヘッドの大きなコミュニケーションに甘んじるのだろう. つまらないことに胃を痛めていくのだろう.

会社では, このようにハッカー的な生き様と自分のありかたのギャップを思いしることが多い. このギャップが私を苦しめ, いつもこの違いについて考えている. しばらくはそんな話を書くかもしれない.