2003-11-16

レイチェル : レイチェル・カーソン 「沈黙の春」の生涯

東京書籍 / リンダ・リア / 上遠恵子訳 / ASIN:4487796334. (TODO: amazon plug-in 使う)

前半は伝記のステレオタイプに従う. 恵まれないながらも母親の愛に満ちた子供時代, 友情に恵まれた学生時代など. 見どころは後半, 「沈黙の春」の着想から出版までにある. 農薬関係の利権者から猛烈な攻撃に遭うことを覚悟し, 専門家に意見を求めて内容を徹底的に検証したという. また発言力を持つものかきや政治家などにプレプリントを送るといった根回しも怠りない. 癌を隠しながら戦う姿がかっこいい. レイチェル・カーソンがナイーブな環境主義者ではなく, 目標と手段をもった野心家であったことがわかる.

無闇に厚いし高いので, 他人には薦めにくい本. 翻訳も丁寧ながらなんとなく退屈な印象がある. 特に文学的才能に溢れているはずのカーソンの手紙を, ベタな女の子文体で訳すのは興覚め. 厚さの方は詳細さを考えれば仕方ないかも. 私がふだん読む伝記類は(無愛想な)数学者や物理学者のものが中心だ. それらのそっけなさと比べると, この詳しさは際だっている. レイチェル・カーソンは手紙をよく書き, またメモもこまかく残していたようだ. 厚い伝記を書いて欲しい作家志望者は, メールや日記のバックアップを怠ってはいけない.

ナイーブさ

プログラマは "ナイーブな" という言葉を "アホな" という意味で使う. たとえばナイーブなアルゴリズムは, アホなアルゴリズムを意味する. (教科書などでは遠慮して "素朴な" くらいの訳になっている.) そのせいか, 私は世間でいう "ナイーブさ" にまったく前向きな印象を持てない. "ナイーブな環境主義者" は "アホな環境主義者" へ自動的に置換される.

ただし, ある主義主張やものの考え方それ自体を "それはナイーブだ(アホだ)" というのはそれこそナイーブな中傷だろう. ナイーブさはあるアイデアがもつ現実との落差と, その落差を埋める何かが無いことをあらわしている: つまり, できもしないことをできると言うのがナイーブさ(アホさ)だ. と, 私は考える.

倫理的に正しい考えをナイーブに思う事があるのは, それが実現困難であるか, あるいは発話者がその正しさに甘えて手段の不在を無視しがちだからだろう. ナイーブさの持つイノセントな印象は, こうした "正しさ" に由来すると思う. しかしアホさとイノセンスは区別する方が安全だ.

なんとも当たり前の話. しかし "エンジニア的正しさ" に逃げ込みがちな今日この頃に自戒を込めて, 改めて確認しておこう. (それに五千円も払って本を買ったら, 教訓の一つくらい得たことにしないとなんとなく損した気分になるのだ.)