2004-02-05

近況

風邪にて病欠中.

私の場合, がんばりすぎの徴候として体調を崩すことが多い. あれもやろうこれもやろうとあれこれ野望をプッシュしすぎて stack overflow をおこす. だから体調を崩しそうになったら(今回は既に崩してしまったけれど) 自分の野望リストを書きだして優先順位をつけ, 自分に "これはあとまわし" といいきかせる. 調子に乗っている時ほどそんな当り前の作業を忘れがちになる.

以下は最近読んだ本.

エクソフォニー

わたしは単語の好き嫌いばかり言っているようだが, 好き嫌いをするのは言葉を習う上で大切なことだと思う. 嫌いな言葉は使わない方がいい. 学校給食ではないのだから, "好き嫌いをしないで全部食べましょう" をモットーにしていては言語感覚が鈍ってしまう. 一つの単語が嫌いな場合は, 自分でもすぐには説明できなくても必ず何らかの理由があり, その理由は, 個人の記憶や美学と結びついている. だから, 思いきりわがままな好き嫌いをしながら, なぜ嫌いなのかを人に言葉で伝える努力をしたい.

タイトルが気になってなんとなく読む. 作者の多和田葉子はドイツ語と日本語の両方でものを書く作家. 旅先での体験を交えながら, なんとなく使っている単語や熟語の意味について言葉の話を綴る.

私がふだん仕事で文章を書く時の意識と小説家が文章を書くことについてのこだわりはまったく違うなと思う. 私の仕事用文書は, 誤解や思いこみを招かないよう際どいところを極力避けて無難な言葉で平易に書く. この日記もそう. 多和田葉子は, 文学によって言葉の限界を超えようとするという. 限界を超えるのは難しいにしろ, 書くことに淫すること, 書くことそのものの楽しさは捨てずにいたい. 説明調の文章ばかり書いているとその楽しさはどこかにいってしまうし, だいたい遊び方を忘れてしまう. 最近はそんな文章ばかり書いている気がする.

ただ遊びのない文章を書くのが苦痛かというとそんなことはなくて, それによって意味のあるミーティングができたり, 他人の理解を助けられたり, 意思決定に影響できたりするのは嬉しい. 喜びの種類が違うという話.

デザインのデザイン

デザインは単につくる技術ではない. ...(中略)... むしろ耳を澄まし目を凝らして, 生活の中から新しい問いを発見していく営みがデザインである. 人が生きて環境をなす. それを冷静に観察する視線の向こうに, テクノロジーの未来もデザインの未来もある. それがゆるやかに交差するあたりに, 僕らはモダニズムのその先を見通せるはずなのだ.

こんな感じで "デザインとはこういうものだ" という話をしてから, 著者の関係したデザイン関係のプロジェクト(RE DESIGN, 無印良品, 愛知万博...これは没になったらしい...) が紹介されていく. 私の場合デザインの成果物だけぽんと示されても, どこが面白いのかさっぱりな事が多いから, こういう風に解説されるとああ, なるほどと思えていい. 後半はやや大上段に構えて世界の中の日本がどうだとか欲望のエデュケーションだとか言いだして, 前半と比べるとやや浮いた感じはある. そのへんは職業的義務感か.

ある数学者の生涯と弁明

ラマヌジャンのお友達ということで有名な数学者ハーディのエッセイ("弁明")と, 科学史家スノーによるハーディの回顧録("生涯").

"弁明" で, ハーディは数学, 特に純粋数学の素晴しさを懸命に説く. あまりに必死なのでやや滑稽なほど. 純粋数学は "一般的" で "美しい" のだと説くのだが, なんだかいまひとつ説得力が感じられない. 他のもの(たとえば応用数学,チェス)が重要でないと強調することで純粋数学をもちあげようという姿勢が好きになれないからか. これを読んで "数学ってすばらしい" と思うのは難しい気がする. ハーディは純粋数学が好きだったんだなあ, とは思う. 数学の美しさを示そうとある定理を具体的に証明してみせる一節は鮮かで, 本文中で安心して読める数少い部分となっている.

ハーディの人格を窺い知るには, むしろスノーの書いた "生涯" を読む方がいい. 在りし日のハーディが描かれており, "生涯" を読んで受けた印象は少し柔らぐ.

ところでなぜこの本を読んだっけ... と考え, ハーディとラマヌジャンの有名なやりとりについての出典を知りたかったからだと思いだす. 載ってなかった...

コーネルの箱

昔ここに映画館があった. 無声映画を上映していた.それは雨の晩に, 暗い色のガラスを通して世界を眺めるのに似ていた.

ある夜, ピアノ弾きがなぜか姿を消した. あとには何の音も立てずに荒れ狂う海と, 人けのない長い浜辺に立つ美しい女性が残った. その目から涙が音もなく転がり落ちるなか, 私が母の腕に抱かれて眠りに落ちていくのを女性は見守っていた.

小箱作家(?)コーネルの評伝であり, かつシミックの散文集になっている. なかなか贅沢な本. 写真も豊富. 訳文が硬い印象なのは原文の影響なのかしら.

レンダラのテストに使う Cornel Box とは無関係. か. 残念. 展覧会をどこかでやらないかなー.